架空鉄道 小野川電鉄
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黄昏時の物思い
夏のうだるような暑さの中、期末テストがついに終わりを迎えた。やっとこれで僕も自由の身になる。
「…テストご苦労さん、明日は終業式だけだが気を抜くなよ、じゃ解散!」
先生のいつも通り短くあっさりした終令が終わった。教室のあちこちから解放感に満ちた声があがる。

「ぬぁ!疲れたっ!午後から遊ぶぞっ!」
僕の隣に座っていた高橋が椅子に背をもたれかけたまま大きく背伸びする。
「坂本は?この後ヒマ?」
「悪りぃ高橋、今日は用事があるんだ。」
実は用事なんて無いんだけど今日は友達と遊ぶ気分じゃ無かった。
高橋は、そりゃ残念。とつぶやくと立ち上がりカバンに筆記用具と問題用紙を突っ込みながら教室を出ていく。
「ゴメンな」
「気にすんな!」高橋はちょっとキザっぽく手を振りながら颯爽と去っていく。
ちょっと悪い事したかな、なんて今ごろ思った。

人もまばらになった教室で帰る支度を始める。
教室の後ろでは女子が2、3人数学Aの解答に何を書いたか話し合っている。
今ごろ答えが分かったって無駄なのに……なんて思ったりしている自分も実は自信がない。もうあとは野となれ山となれ、だ。テストが出来なくても命が取られる訳ではないのだ。

このまますぐに帰ってもいいし、いつもそうしているんだけど、今日はそういう気分ではなかった。
夏休みの長期貸し出しも始まっているし、図書室に行こうか。気に入った本があれば借りて帰ろう。そう思って2階の図書室に向かうことにした。テスト終わりとあって部活の連中しか居ない校舎は人影もまばらだ。

気に入った本を見つけたのは良かっけど、冒頭だけと思って読み始めたのが失敗だった。
気が付けば日はすっかり西に傾いて、図書室も閉館の時間になってしまった。
「もう、閉めるわよー。気に入った本、見つかったの?」
図書室常連の俺は図書委員長の先輩ともすっかり顔馴染みになっている。
「えぇ。でも、読み切っちゃいましたね。」
「だったら同じ作家さんの本でも借りてみたらどう?」
あぁ、それも良いですね。と言いながら本棚に戻り、同じ作家の本を適当に2、3冊ピックアップしてみる。
「じゃあこれを」
結局、5冊になった本をカウンターに差し出す。
「はいはーい、貸出ね」
慣れた手付きで貸出票にスタンプが押され返却日が印字された。9月1日――。長く短い夏休みが終わりを告げる少し憂鬱な日。

図書室を出て人気の無い廊下を歩く。聞こえるのは自分の足音だけ。
階段を降りかけて傘を忘れていたのに気が付いた。
くるりと向きを変えて、渡り廊下を抜けて1―Dの教室に向かって歩く。
幸いな事に教室の鍵は開いていた、ドアを開けると夕暮れのオレンジ色に染められた机や椅子がひっそりとたたずんでいる。

見慣れた活気ある昼の教室と違うこの教室は、人を感傷的で懐かしい気持ちにさせる。
雑に並んだ机の列をぬって、一番後ろの傘立てを目指して行く。自分の傘を引き抜いて顔を上げると夕暮れの空がとても綺麗で、思わず目が奪われてしまう。
しばらく夕日の街を眺めていると、胸が締め付けられるような切なさと共に「帰りたい」という気持ちが溢れだす。

早く帰ろう。僕は本来、ここに居るべき人間ではないんだ――。
友達は居るけど、クラスにはまだ馴染めていない。居心地の悪さを未だに感じる事がある。
きっと僕は、アイスティーの底に沈むガムシロップのように、無理に高校生活に溶け込もうとして、溶け込んだ気になっているだけなんだ……。

「もう慣れた」

なんて思っていた高校生活に対する違和感が夕暮れの優しい光によって、そっと炙り出される。

大きくため息を吐いて教室を出て階段を降りる。踊り場に反射する光がまぶしくて、思わず目を細めた。校舎を出ると、ムッとする生温い風が草の匂いを運んできた。

人もまばらな田舎道を歩いて駅に向かう。ちょうど8分発の電車に乗ることができた。
フワフワと揺れながら線路の上を走る電車の中も、オレンジ色に染められている。窓のサッシはまるで黄金色だ。

笠井町の駅で自転車を引きずりだしてカバンを前カゴに突っ込んで走り出す。
路地のあちこちから夕飯の匂いが風に乗って流れてくる、この家の夕飯はカレーだろうか、ここは焼き魚だろうな。なんて考えながらペダルを漕ぎつづける。

駅からは家までは5分ほど。車の横に自転車を停めて鍵をかけた。なんとなく、空を見上げてみる。
オレンジ色だった空は、茜色から藍色へ無限の色の階調でグラデーションを描いている。
世界をオレンジ一色に染め上げたり、刻一刻と姿を変える空はまるで何かの魔法か錬金術を見ているようだ。

玄関のドアノブに手をかける、もう一度大きく息を吐いて物思いも一緒に吐き出すようにした。

「ただいまー」

色々あるけど、きっと、大丈夫。
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過去の譲渡車
・7000形(旧小田急2220形)
7000形
小田急2200形は1954年に登場した小田急の新性能電車。軽量車体、直角カルダン駆動で乗り心地の良いアルストーム台車、高い性能を誇るHSC-Dブレーキ、1台の制御器で8台の主電動機を動かす1C8M採用し、2両の電動車でユニットを組むMMユニット方式のオールM編成など当時の新技術をいち早く採用した「初期高性能車」に分類される車両だ。
登場当時は持ち前の高性能を大いに活かし、急行から各停運用をこなすオールラウンダーとして大活躍した。
ただ、新技術を意欲的に採用しすぎたあまり製造・保守コストの高さが問題となり、この反省が後の2400形(HE車)の登場につながる。

小田急2220形は1958年に登場した2200形の改良版として4両固定編成4本が製造されるが、後にHE車の増結用として2両編成に改造される。
性能的には2200形と同一であるが、整備に非常に手間の掛かる直角カルダン駆動からWN駆動に、電動機出力は同じ75kWだが2200形とは別の物を採用、歯車比も大きくなるなど改良されている。

小野川電鉄では老朽化した自社発注車の取替え用として1984年に2両編成3本が導入され「7000形」として活躍を開始した。入線時に塗装の変更、通風器の取替え(ガラベン→グロベン)や必要の無い種別表示幕の閉塞などの改造が行われている。
台車は2220形時代から装備していたFS316台車のまま入線したもの小野川電鉄の軌道と相性が悪く、高速走行時はとにかく揺れて乗り心地は良くなかったという。
一度、特別修繕工事を受け冷房化をされ、京王5000系とバトンタッチする形で1994年に全車が引退、廃車された。

7000形の導入に合わせ、200形のHSC制動化や8000形(元:省線モハ50系)の近代化工事が行われるなど小野川電鉄の近代化に貢献した車両だった。


・8000形(旧国鉄モハ10系)
7000形
1964年に山陽本線横川~小郡(現:新山口)間が電化され、ついに山陽本線は1本の架線で結ばれるようになった。
これに合わせて小野川電鉄も600Vから1500Vに昇圧し、国鉄とこれまでの客車・気動車だけでなく電車の直通運転を行う事が計画された。
既存車両の昇圧工事は、単行のM車を2両固定にし直列でつなぎMMユニット化する方法で進められた。当時、乗客の増加により2両・3両を組む事が多くなっていたので単行運転が出来る車両が減ることは大きな問題では無かった。その一方で、車齢の高い車両や昇圧に対応出来ない車両の置き換え、不足する車両の補充用として国鉄からモハ10系の払い下げを受けたのがこの8000形である。

払い下げられたのはモハ10系の中でも旧モハ50系のグループで、昭和初期の省電では半鋼製車のモハ30系が製造されていたものの、省電車両の多くはまだ木造車で占められてた。これらの木造車を一刻も早く安全な半鋼製車に置き換えるために価格の高い電装品やパンタグラフ・台車などを木造車から流用し、鋼製の車体を組み合わせて1934年に製造されたモハ50系である。

8000形(旧モハ10系)は車体の老朽化が問題になっていた木造車の台枠や電装品を利用し鋼製の車体に載せ換えて製造したため、車体こそ新しくても電装品は古く、車齢が置き換えられる在来車よりも高い車両もあった、やむを得ないとはいえ矛盾を感じる車両の置き換えであった。
その後、7000形(小田急2220形)導入に合わせて、車内設備のレベルを少しでも近づけるのを主な目的に、老朽化した電装品の取替えと窓のアルミサッシ・Hゴム化や内装の塗装を更新するなどの近代化工事が行われた。
適当な車両があるなら8000形も置き換えてしまいたかったのだが、台所事情の厳しい小野川電鉄では8000形よりも重要度の高い自社発注車の置き換えを小田急2220形の購入で行うのが精一杯だったのだ。
車体の更新を行ったこと、国鉄の標準部品は部品の確保が容易で取り扱いやすかったこともあり1988年の京急1000形入線まで活躍した。
8000形リニューアル


現在の譲渡車
・5000形(旧京王5000系)
5000
京王5000系は京王電鉄の1500V昇圧に伴って1963年に登場した車両だ。均整のとれた車体にアイボリーホワイトを身にまとい臙脂色のラインを締めた美しいデザインのこの車両は、京王線が路面電車から都市間電車に脱皮したことを象徴する車両だ。さらには、純然たる通勤車では初めて冷房を搭載した先進性などが評価されて1964年度に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。

車両は様々なバリエーションが存在し、冷房装置8種類、主電動機・主制御器は3種類、台車は12種類、さらに駆動方式はツリカケ駆動とカルダン駆動の2種類存在するなど統一性に欠けていた。昇圧準備工事の関係で採用したARSE制動はのちにHSC-D制動に統一されている。

当初は京王の代表車両として新宿~京王八王子間の特急に使用されたが1972年に6000系が導入されてから徐々に優等運用から撤退するようになり、特に非冷房車だった車両は早期に運用から外されて1970年代後半からは各停をメインに活躍をするようになった。
ただし、冷房車は競馬特急・急行や大晦日から元旦にかけての特急「迎光」など臨時列車に1980年半ばまで充当されることがあった。

5000系は18m3扉と地方の私鉄で使い易いことと、京王重機が積極的に販売などを行った事もあり多くの車両が地方私鉄に譲渡された。
小野川電鉄も京王電鉄から3編成を譲り受け京王重機にて改造がされて入線した。
入線の際に中間車の先頭車改造、軌間の合わない台車を営団地下鉄3000系の廃車発生品のFS510に、また主電動機も同じく営団3000系のMB3054-A(75kw)への変更、前面窓上の尾灯・通過標識灯の撤去とスカートの取り付けが行われている。スカートは先に導入された1000形(旧京急1000形)と同じものを使用しているので少しスマートさに欠ける、主要機器なども1000形とある程度は共通化が図られており予備品をなるべく統一し保守・整備の煩雑化を防ぐようにしている。車掌スイッチは無人駅での運賃収受をしやすくするために中間に入った運転台でも扉扱いが出来るようにドア回路が変更されている。新たに幌も取り付けられており朝夕の3・4連では幌を繋いで運転されている。

付番の法則が、1000形導入時から前の会社での形式名を使うようになったので、京王電鉄時代と同じ5000を取って「5000形」になった。


・1000形(旧京急1000形)
1000
京急1000形は都営地下鉄浅草線の乗り入れ用として計画され、1959年に登場した一時期は京急の代名詞と言える存在だった車両だ。
1959年から1978年までの長期間に渡って356両が製造されたことからも1000形の使いやすさと素性の良さがうかがえる。全電動車方式を採用し高い加速と高速性能を両立させ、大きな窓を採用し京急レッドをまとった軽快な外観、開放的で明るい車内は実に京急らしい車両だ。

小野川電鉄に残る旧性能車8000形の置き換え用として2編成が導入されることになった。
80年代後半は18m級の初期高性能車が最後の活躍をしている時期で、導入の候補としては東武2000系・東急7000系もあったが東急7000系はステンレス車体で小野川電鉄が導入を嫌ったこと、東武2000系は冷房化が困難であること、走行機器の老朽化が進んでいたため導入は得策とは言えない。新型車導入により冷房化率を100%にしたかった小野川電鉄は、すでに冷房化改造が行われており、車体の状態もとても良い京急1000形に白羽の矢を立てたのであった。
入線にあたり京急車輌工業により、先頭車化改造とMGとコンプレッサーの移設が行われた。全て中間車を種車としたために新たに取り付けた前面は味も素っ気もないオリジナルで京急時代の面影は側面くらいにしか感じる事が出来ない。
前面方向幕は当初から装備しておらず、200形と同じく行先板・サボを使用する。
主制御器の限流値が調整され小野川電鉄では過剰な加速性能をキープしている。軌間を変更するため国鉄101系からの発生品であるDT21台車に、主電動機をMT46A(100kw)を減格し75kw相当にした物に交換されている事もあり京急時代の俊足ぶりも過去の話だ。
室内は今まで寒色系でまとめられていたが少し寒々しい印象があるため、アルミデコラがライトグレーグリーンからアイボリーホワイトのものに徐々に交換された。

今までの付番の流れで行くと6000形となるはずだが、突如「1000形」まで飛んでいる。どうやら前の会社での形式名を使う事にしたらしく、京王5000系導入時も5000形と付番されていることからこれが新しい慣例になっていくものと思われる。





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